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いとうせいこう×小林武史 「今こそ、娯楽の意味が問われている」(1)

エンターテインメントというフィールドの第一線で活躍する一方、社会的な発言や活動をおこなっている、いとうせいこうさんと小林武史が初めて顔を合わせた。社会構造の根本が覆されないことにただ絶望するのではなく、希望を見出すこと。そのための突破口として、今こそユーモアの必要性を問う。(対談日:2012年1月23日)

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娯楽と政治は切り離せないもの

僕達の役目は、議論をエンターテインメントに見せること

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小林 さて、どういうことから話していったらいいのか......、という感じですが(笑)。

いとう 問題山積ですからね(笑)。

小林 せいこうさんが、中沢新一さんや内田樹さんたちと一緒に進めていらっしゃる新聞広告の件(賛同者を募り、反原発を表明する意見広告を新聞に掲載しようという取り組み)を伺って、すごくいいアイデアだと思いました。僕の周りにも専門家がたくさんいて、それぞれのやり方で色々なことをしているけれど、ややもすると決めてかかっていらっしゃるようなこともあって。そうすると壁にあたってひろがらなくなってしまって、もったいないなと思うこともあるんですよね。原発についての会議やテレビの討論などでも、推進派と反対派がそれぞれの言い分を披露しておしまい、というパターンに終始してしまうものがよくありますけれどね。

いとう うん、よく見かけますね。

小林 定形とか型を持つのではなく、どちらに向かって何をやっていくのかというような動きを続けていくには、どういうやり方があるのかと僕はずっと考えていて。僕は勝手に、せいこうさんはそういう柔軟性を持ったマインドでやっている方だという気がしていたんです。なので新聞の企画もそうですが、何か考えをお持ちなのではないかと思いまして、直接お会いしてお話を聞きたかったんです。

いとう 今ちょうど中沢新一さんや宮台真司さんと、あるネットワークを作ろうとしているところです。そこで宮台さんが主張しているのは「コンセンサス会議」というもので、例えば原発のことなら推進派、反対派、わからない人、というような感じで一定数の市民が集まり、専門家も3~4人呼んで、数日かけて徹底的に質問や討論をしていく。でも、討論している人だけでは、白黒がつかないんですよね。お互いの立場があるし、ほぼ相容れないわけですから。けれど、この人達の話を聞いて検証する立場もあるじゃないですか。

だから、討論を聴いて、最終的に我々市民としてはこう考える、というコンセンサスを作る。 その行為自体が日本にはなかなかないので、それを根付かせようじゃないかという話になっているんですよ。ただ僕は、エネルギーシフトは確実にしなければならない、という考えを持っているんです。それはなぜかというと、汚染の度合いの問題とかではなく、根本的に電気という産業自体が腐敗してしまっているから。その利権の問題が、先進国なのにも関わらず発展途上国における軍みたいな状態で、情報が出ないし癒着している。80年代に広瀬隆さんが反原発を掲げたあたりから、世の中にそんなに影響を与えるほどでもありませんでしたが、僕もずっと原発について言及してきました。20年間、クーラーもなるべく使わないよう頑張ってきたし。でも去年の夏に電気の使用量のメーターが初めて公開されたじゃないですか。それでよくよく考えてみると、ピークの時間でなければ電気を使ってもよかった。要するに、そんな情報公開さえなかったんだ、という気づきみたいなものがありまして。自分の生活についても、夏にあんなにうちわだけで過ごしていたのは、ちょっと凝り固まっちゃっていたんだな、と。

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そう考えると、もちろんコンセンサス会議もやっていきたいと思うのですが、もうひとつは、判断しうる情報がどれだけ出ているか、ということなんですよね。今まではあまりに隠されていて、新聞でさえ全く情報を伝えていなかったということが、インターネットによって初めて分かってきていて。なので、より的確な情報を多くの人にどのようにして伝えるかを考えることが、自分のひとつの役割だと思って、今はそういう動きをしているところなんです。

小林 「コンセンサス」には「一致」とか「同意」という意味があると思うのですが、宮台さんが言っているコンセンサス会議の目的は、最終決定をすることだけではないんですか?

いとう はい。というよりは、話を聴いて判断するという過程を見せることが重要なんだと思うんですね。

小林 なるほど。

いとう 考えるプロセス自体が、今特に日本の市民から奪われているから、ということなんでしょうね。

小林 僕も、なんでそうなるのかというプロセスが重要だと思うし、それが面白いと思うんですけれども。

ただ、宮台さんが「そこが大事だからコンセンサス会議をやるよ」と言っても、どれだけの人がそこに集まって来るのか、という不安はちょっとありますよね。最終的にみんながそのプロセスを「なるほど」と面白がることができれば、それが一番いいことだと思うし、そうならなくてはいけないんだけれども......。

いとう 宮台さんや中沢さんがどういう風に考えているかはわからないですけれど、僕がそこにいる理由のひとつというか、自分が役に立てることというのは、おそらく「コンセンサス会議のようなものをずっと見ていても面白いものにする」ということなんだと思うんです。

小林 うん、そうですよね。

いとう いままでのコンセンサス会議には、たぶん司会という概念はないと思うんですよ。けれど僕が入っている以上は、対立しているんだけれど笑いが起きて融和する瞬間があったり、でもしっかりと話しているときにはじっと聴かせたり、どこかで聴いている人達を置いていってしまう議論になっていたら、それに気づかせるとか。結局エンターテインメントがやる仕事って、そこにあると思うんですね。日本の場合は社会的なものとエンターテインメントが切り離されてしまっている。

おそらくアメリカやヨーロッパには、それが平気であると思うんです。

小林 ありますね。クサかったりするけれど、なんだかやたら盛り上がってるな、アメリカ人はこういうやりとりが嬉しいんだろうな、みたいな(笑)。そういうものを大事にしますよね。でも、確かにその通りだと思います。僕も、会議をずっと見ていると「そこから飽きるんだよなー!」みたいに思ってしまうから(笑)。

いとう そうそう。専門家がどんどん各論に入ってしまって、「今、そんなにベクレルの細かい話に入っちゃってもなぁ」とか「ここで利権の話をしなければいけないのに」みたいなことになってしまいがちなんですよね。

小林 本当にそうなんですよね。つまり、そういう意味での魅力ある面白いコンセンサス会議にしたいということなんですね。

いとう そう。臨場感のあるものにしたいですよね。議論をエンターテインメントに見せるということになると、唯一日本では『朝まで生テレビ』になるわけです。でも、あの番組も結論は出ないんですよ。




けれど、この会議の場合は、仮にでも必ずコンセンサスを作って、今我々はこう考えるということを発表する。それに、テレビというよりはイベントっぽい作りだけれど、Ustreamでも配信していく。視聴者数が増えていけば、最終的には武道館でやることだって考えられるんじゃないかというね。僕はそういう切り口でやっていきたいと思っているんです。小林さんのおっしゃるとおり、小さいところで影響力なしにやっていると自己満足になってしまうからよくないわけですよ。

小林 みんな自分の主張や流儀の中に閉じこもってしまいがちですよね。きつい言い方をすると、そのほうが楽なんだろうとも思うけれど。それでは、取り残されていってしまう人との差が埋まらない。「関心のない人がダメなんだ」というのではなくて、おそらく関心がなくなるだけの理由があるんですよね。それも、到底一概には言えないような深くて広い理由が。そこを何とかしていかないとね。僕はいつも言うのですが、結局はみんなが選んでいくしかないと思っているんです。

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いとう 小林さんも僕もですが、今、娯楽というものが問われている。震災の直後には現実が圧倒的過ぎて、想像力というものを働かせることもいけないんじゃないか、というくらいだったと思うんです。こんなときに娯楽なんてやってる場合じゃないと。でも近頃は、世の中を変える時には変えるなりの娯楽というものがあるのではないか、と考えているんですよね。やはり娯楽って影響力のあるものだから。

小林 自分と物事に対しての距離というものがないと、見るべきものが見えなくなってしまって、かえって不健全ですよね。笑いに限らずだけれど、音楽でも、ちょっとバカになるとかね。

いとう 次元を変えるということですね。

小林 そうですね。物事の捉え方をどんどん変えてみる。せいこうさんもそうですが、僕は音楽でやってきている人間だから、凝り固まった形でやるのは嘘くさいと思っていかないと駄目なんだろうなと思いますね。それでも、僕やせいこうさんまでこうしてはっきりと発言しているのは、このエネルギーの問題があんまりなんでね(笑)。

いとう そう(笑)。あんまりなんですよ。

小林 その問題が象徴的な症状として出ているのがこの原発の54基だからね。これだけ絶対的安定供給みたいなことを据えて、電力は大事だから自由競争をもたらさないほうがいいということを決めたことから、間違えた道筋に入っていってしまったと思うのですけれど。そこに電力独裁みたいなことや、権力に対して群がるものが現れて癒着が生まれてくる、といったことをいいことをしているつもりで施していって。

いとう 言い訳はいろいろとできるんですよね。地域との格差の問題とかね。「そこは貧しいのに原発奪ってどうするんだ」みたいな。むしろ、そこにつけこんだのがあの産業なのに、発想が逆になってしまっているんです。創意工夫がなくてもいい社会にしてしまった、とも言えてね。社会にそれがどうしても必要だと洗脳されてしまっているという構図は、非常に存在が軍隊に似ているように感じます。

戦争を起こさないようにすることが革命である

小林 もうひとつ、今回の電力会社のことを日本特有の症状として捉えているところもありますが、アメリカが中心となっている資本主義の在り方が、それを包んだ状態でかなり軋んで音を立てている状況じゃないですか。おそらく僕らはエネルギーのことだけでなく、その軋みというか歪みに、先進国のなかでもっとも見舞われてきている10年、20年だったと思うんです。震災前に菅さんの支持率が16%くらいに落ちて、けれど総理を変えないほうがいいという意見が30%以上だったんですよね。それはすごい哀しいことだなと思って。そんな、打つ手なしという感じがあった矢先の3.11だったのでね。僕らはエネルギーシフトと同時に、生き物としてはそれ以上に食のことも重要だと思っているんです。食とエネルギーを自分たちでちゃんと自治して、把握していくことが大事だろうし、自分たちが生きていくことや、それを取り巻く環境のことをちゃんと捉えることが、命を授かっているものの喜びに直結するものだと僕は思うんですよね。でも今は、お金に代替される豊かさというものに覆いつくされていて、すり替えられている。それこそ、エンターテインメントの社会でもどんどんその合理性の方向にいっているのでね。

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小林 「大衆にとって食べやすい」ということに重きを置いたりね。そして、クリエイティビティが低下していって。僕は宮台さんともよく話しているのですが、生き物として反応する力の低下に繋がってきているし、つまらない社会になってきているじゃないですか。

いとう 特に20世紀の終りくらいから加速的に高度資本主義のスピードが早くなり、お金で交換できなかったはずのところにまで全部お金のシステムが入っていって。要するに、愛情とか親子とか医療とか臓器とか、そういうものが全部、売買の対象になっていくわけじゃないですか。資本主義というものは資本主義でないものを食いつぶすことによってしか生きのびていけないと、柄谷行人さんが明晰に分析しています。そこに終わりは見えているのだけれど、こういうときに資本主義を終わらせないために国家というものが全面にでてきて、帝国主義戦争のようなことが起きてしまう。その戦争をさせないようにすることが革命だ、と彼は言っているんですね。




これはすごいことを言っていて、どこかで革命が起きるとかではなくて、戦争を起こさないように止め続けること自体がそのままレボリューションなんだ、と。僕が10代、20代の頃は楽しいとか嬉しいとか面白いとか、興が乗るということ自体がバリューになっていて、「金はひとまずいいから、ともかくそれを先にやらせてよ」というようなことがあったのに、今は「バリュー=マネー」だと、みんなが当然のように考えてしまっている。僕は4年間近畿大学で講義やゼミをやっていましたが、学生たちが薄ぼんやり何かのバリューに気づいていても、「結局、お金にしなくちゃならないんでしょう?」というふうにあきらめていく様が見ていてわかるんですね。バリューってものすごく豊かなものであるはずなのに、計算できるものだけがバリューだと思ってしまっているのが困るんですよ。困るというか、それが人間を痩せ細らせていくことになると思うから。そういうこともあって、やっぱり娯楽の意味が問われている、と今話していて自分でも再確認しました。

小林 そうですね。

いとう 娯楽、あるいは芸術というものは、バリューがお金だけじゃないということを本能に訴えかける仕事じゃないですか。だからますます今は、資本主義vs娯楽、資本主義vsアート(笑)。まさに、対抗文化としてのエンターテインメントというものが作り出せたら、と思いますね。語弊はあるし、誤解を恐れずに言えば、60年代ないし70年代の学生運動も、ひとつのエンターテインメントだったとも言えるわけです。人間なんてそんなに条件は変わりませんから、それを我々が21世紀に作れないはずもないわけですよ。「素人の乱」という連中がやっている反原発デモに僕自身もワンオブゼムとして参加しているんですが、彼らの「9.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!」では、僕もDub MASTER XというDJ兼エンジニアが出してくれるバックトラックに乗せて、街宣車の上で演説をしたんです。

ポエトリーリーディングなんですが、リズムをDub MASTER Xがいろいろなかたちで僕に仕掛けてくるから、当然ラップのようにもなって。その映像は、今YouTubeにも上がっています。その時に僕が一番心がけたのは、包囲している警備隊の人たちの心を打つようにしよう、ということ。デモ隊が盛り上がることは、申し訳ないけれどわかっている。でも、敵対関係にあるような人達の心まで動かすとしたら、それはラップをやってきた自分にとって一番のスピーチになると思って。考え方が違う人の考えが変わるということ。そのエンライトメント、気づきが起こっていくのが最高のライブじゃないですか。つまり僕が何をしようとしていたかと考えると、それって娯楽なんですよね。

小林 なるほどね。




いとう 80年代のニューヨークで起こったラップより、日本語のラップはもっと起源が古いと僕は思っているんです。例えば、江戸幕府から明治開国するときには当然議論も演説もあったし、大正デモクラシーの時には言論統制で演説をすると逮捕されちゃうから、演歌師という人達がバイオリンを持って「これは芸だから」ということで政治的なことを歌で伝えるんですね。それが演歌の語源になったわけです。さらに60年代、70年代には全共闘運動があって三島由紀夫が東大に乗り込んで話したり。そういうスピーチの歴史が、日本にはあるじゃないですか。その上にラップが乗っかっただけ、と僕は考えているんですね。だから「娯楽と政治は一体のものである」という普通のラッパーじゃない認識でラップを捉えていて。それが、例えばコンセンサス会議かもしれないし、デモにおけるスピーチかもしれないし、そのキャッチフレーズかもしれない。やるべきことが、なかなかいっぱいあるなぁ、という感じですね。もちろん、毎日まったく世の中が動かないことに絶望もしながら。

小林 うんうん。

いとう 先程の小林さんの話を伺って思ったのですが、「世の中が変わらない」と思っている人たちがたくさんいるから、首相を変えないわけじゃないですか。でも「世の中が変わらない」「絶望的である」という状況において、単に絶望しているのは人間の条件としては非常に貧相なもので。このときに自分の絶対的な条件を超えるものは、ユーモアだと思うんですね。要するに「変わらないと知っているのに、変えようとする」ことを勇気と言う人もいるけれど、僕はそれをユーモアだと思うんです。柄谷行人さんが昔『ヒューモアとしての唯物論』というすごく面白い本を書いていて、「マルクスは資本論をユーモアとして書いたんだ」という言い方をするんですけれど。これはなかなか面白い言葉だと思います。小林さんが言っていたようなガチガチにしてしまうことに対する抵抗感って、「その人たちにユーモアがない」ということじゃないですか?

小林 そうですね。ユーモアは大事だよね。

いとう そうなんですよ(笑)。

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いとうせいこう

1961年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。編集者を経て、作家、クリエイターとして活字、映像、舞台、音楽など幅広いジャンルで表現活動をおこなっている。著書には『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞、新潮文庫)、『見仏記』(みうらじゅん氏との共著、角川文庫)、『プランツ・ウォーク』(柳生真吾氏との共著、講談社)などがある。また、「シルシルミシルさんデー」(テレビ朝日)、「オトナの!」(TBS)、「ビットワールド」(NHK教育)などテレビのレギュラー出演も多数。下町の魅力をコメディ映画を通じて味わうことを目的としたイベント、「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務めている。
http://www.cubeinc.co.jp/ito/
https://twitter.com/seikoito



(撮影・取材・文/編集部)


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