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野茂英雄

no

01

小林武史 × 野茂英雄

1996年に雑誌の対談で出会ってから、10年以上の付き合いになる二人。
野球と音楽との意外な共通点から、野茂さんも興味があるという農業についての話題まで、和やかな雰囲気のなかで友人同士ならではの本音トークが展開されました。

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第1回 「野茂英雄×小林武史 出会い、メジャーリーガーまで」

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小林
僕が野茂英雄って選手をはじめて意識したのは、いつだったかな......。プロ野球ニュースか何かを見 たときですね。野茂君のトルネードっていわれる独特のフォームと面構えに、ばーんと何か共振が起きたんですよ。その後雑誌の対談で会ってから、幸運なこと に個人的にもおつきあいさせてもらっています。野茂君が近鉄に入団したのって何年でしたっけ?

野茂
1990年です。

小林
そもそもいつ頃から、プロ野球に行こうと思っていたの?

野茂
89年のドラフト前くらいですかね。そのときは新日鐵堺という社会人のチームにいて、本当は都市対抗(社 会人野球の大会)で優勝してから、プロに行きたかったんですよ。でも準決勝で負けてしまって、もう一年、社会人でやろうと思っていました。というのも、す ごくやりがいがあったんです。会社全体で応援してくれている実感もありましたし、都市対抗に出て、勝って、会社の人たちに話題を提供して、そして、会社の 人たちが一緒になって応援してくれる。そうやって応援してもらえることで、また僕らも活躍できるみたいな、いい循環を感じていたので。

小林
そうだよね、野茂君はそういう人だよね。

野茂
自分としては、もう少しチームに残りたいなという思いもあったのですが、スカウトが来て、「指名する」と言われて、これは本当にプロに行かなきゃいけないんだな、と。

編集部
プロになるというよりも、「野球をしていきたい」という気持ちだったのですか?

野茂
そうですね。だからアメリカに行った当初も、アメリカ人に対して何も思ってなかった。社会人のときに全日 本に選ばれて海外で試合もしていましたし、プエルトリコやキューバなんかは日本と全く違う野球をしますしね。だからアメリカに最初に行ったときも「キュー バが金属バットを持ってやっているくらいかな?」と思っていました。まぁ、実際に行ってみたら全然違いましたけど。

小林
野茂君は、すごく仲間を大切にする人じゃない。野球のエリートっていう意味では、社会人野球ってそんなに未来がある場所でもなかったと思うんだよね。でも、野茂君は社会人野球が好きだったわけでしょう。そこに野茂君の姿勢が表れている気がする。
日本の高度経済成長のときには、会社社会主義っていうか、とりあえず日本人が会社という一つの組織にまとまろうとしていた。その良しあしはあったと思う けれど、野茂英雄という男は、そういう人が集まったところにできるつながり、といったものを意外と信じられたと思うんだよ。
それが逆にプロ野球っていう、野球の好きな人が集まって、見る人も野球が好きでお金を払って見る野球のための組織に入ったら、5年しかもたなかったわけじゃない? あんなにスカウトも集まって、望まれて入ったのにさ。そこで「日本のプロ野球で野茂君は何を感じたんだろう?」というのはすごく気になるところだよ。それはこれからの日本人にとっての、仲間とか社会とか、人のあり方につながってくる話だと思う。

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野茂
プロ野球時代のチームメイトは今でも付き合いがありますし、すごく良かったんですよ。優勝できたら楽しいじゃないかと思って、野球もできてましたし。た だ、今だから言えますが、プレイをする以上に疲れるものもありました。日本でプロをやっていたのは21~25歳くらいだったんですけど1年目に活躍して、 翌年からエース扱いになって、「みんながお前を見ながらプレイしてるから、お前が見本を見せなくちゃいけない」というようなことを言われたり、マスコミか ら煽られてというのが、最終的には嫌になったんですよね。
たとえば今だとダルビッシュが一番、投げているボールもいいし、成績もいいじゃないですか。でも、「お前が見本を見せないと」とは、僕は言えないんですよ ね。彼はまだ22歳だし、好きなようにやってもらえばいい。チームの中で彼よりも若手の方が多くなってきたときにはじめて、「あっ、俺がこいつらのために 何か見せないといけないな」と勝手に思うようになると思うんですよね。

小林
なるほど、一気に負荷がかかっちゃったんだ。

野茂
グラウンドで結果を出すように言われるのはいいんですけど、
練習だったり、生活のことは......。仲の良いチームメイトがいじめにあったり。
そういうのが、だんだん嫌になりました。

小林
やっぱり、当然、ふつうにやんちゃだったんだよね(笑い)

野茂
最初の監督だった仰木さんのときはよかったんですよ。グラウンドでも、私生活でも、好きなようにやらせてくれましたし、細かいことは言われなかった。次の監督になっても最初はよかったんですけど、負け出してからかな、監督がだんだん口をきいてくれなくなって。

小林
この監督との確執は、野球好きには有名な話だよね。

野茂
監督だけじゃなくて、コーチも全員そうだったんです。そうなると逆に反骨心じゃないですけど、球団がなに もしてくれなかったから、首脳陣がなにもしてくれなかったから、力が出せたのかもしれないです。プロ根性じゃないですけど、お前らを見返してやるってい う。成績出さないと、文句言われるみたいな。

小林
そうなんだ。

野茂
普通は、20代前半のやつが尖ってきても、首脳陣クラスって「ああ、わがままね」って軽く受け止めると思うんですけど。

小林
「自分はこうやってきた」っていうものをすごく持ってる人だから。もちろん人一倍努力してきた人だろう し。でも、ちょっと独特な人だとは思うよ。すごく日本的な、努力イズベストみたいなさ。たとえば、ぼくが櫻井に「努力がすべてです」って言っちゃうことも あるかもしれないけど、それとはまた何か違うんだよね。

野茂
何が良かったか悪かったかは、わからないですけどね。結果的には、アメリカ行きを決めることになりました し。社会人のときは、先輩が行っていたので受けましたし、プロ野球はスカウトされて入りました。でも、アメリカの場合は、自分で行きたくて自分で決め、行 動することになりました。
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野茂英雄プロフィール

1968年大阪府生まれ。1987年 新日鐵堺に入社。1990年 プロ野球近鉄バファローズ入団。1995年ロサンゼルス・ドジャース入団。その後、ニューヨーク・メッツ、ミルウォーキー・ブルワーズなどメジャーリーグ各球団に在籍。2008年7月、現役引退を表明。 NOMOベースボールクラブ理事長。

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