日本酒と魚
2012.03.17 03:52
赤ワインと動物の肉のマリアージュは、
ある意味で論理的で緻密な関係を想像させます。
それは一神教など絶対的な力、太陽などの力を崇拝しつつ、
力で切り開いてきた狩猟民族の歴史を思わせることでもあります。
一方で、僕は寿司屋に行く時など、
どうしても日本酒を頼んででしまうわけです。
時々カウンターなどでワインを飲んでいる人もいますし、
それは好き好きでしょうが、
個人的には魚に合うという白ワインですら、
僕はある程度食材と白ワインの距離を、
つまり口に入れる時間などをおいて楽しむという風になりがちです。
僕はダイビングをやるから、海の中のアルカリ性というか、
素晴らしいけど塩っ辛い世界というのは、
肌に感じているところがあるのですが、
この間ふと思ったのですが、
魚でもない限りほとんどの生き物は、というか、
人間も食物連鎖の頂点に立っているわけですが、
海を離れて陸で暮らしているわけですよね。
大体水不足と言われながら、海にはあんなに水が溢れているのに、
なぜ塩分が強すぎて、飲むことができないのか。
もしかすると、海を捨てていった生物に、
退路を絶つというか、そう簡単に帰ってこれないように、
然うは問屋が卸さないというように、
出来上がった仕組みだろうか、、、、と。
人間からしてみると、味覚として魚というのは、
そもそも生臭いものです。
西洋の人達は、日本人ほど魚を食べることも
不得手としているようにも思います。
バターや生クリームなどで、
随分とごまかしているかのようにも思えます。
その生臭さ、それは日本人の死生観からもきているのだけれど、
死と、発酵と、それをいただく命とが、
ある意味野蛮で大胆なかたちで繋がっていることを
日本人は感じ取りながら生活してきたのではないか。
そこに甘さと農耕民族的な優しさや柔らかさを持った日本酒が、
距離はあるんだけれど、生臭い程の命が発酵や腐敗などとともに
循環しようとする旨味を包み込んでいるのではないか、と思ったのです。